自然に恵まれた山形県山形市で、ロックを聴き、卓球で汗を流して、高校までを過ごしました。 仙台で一浪し、子供の頃に夢みたコンピュータ技術者になるため工学部電子工学科に入学し上京。
大学では眼の網膜に関する研究を行い、自分の眼に超音波をあてて実験をしていました。 勉強の傍ら、バンドのボーカルとして活動し、演奏内容は70年代のハードロックでした。 学生時代から同棲し、生活費を稼ぐため塾の講師のバイトに励み、一年留年して卒業。
民生品機器メーカーに入社し、開発センターでゲーム機、ワープロのソフトウェア開発に従事。 新製品開発チームに異動する前に、ハードウェア技術を身につけるために転職しました。
ベンチャー企業でパソコン開発をしている時に転機が訪れ、世界最先端の通信技術の研究所に 出向することになりました。そこで初めて半導体開発を行い、数ヶ月ですが渡米の機会に恵まれ、 提携先研究所で働きながら、時間をつくって色々なところに行っていました。帰国後、新たな映像技術の研究所が設立され、そこへ出向となりました。
研究所での勤務が終わると、客員研究員として大学で、コンテンツ配信の研究が始まりました。 衛星と地上のネットワークをつかって大学を中心に広域ネットワークを構築し、東京、埼玉、 沖縄を結び、地元の子供達による遠隔教育の実証実験などを主に行いました。
研究開発を20年ほどやって来ましたが、ビジネスの最前線で仕事をやろうと思い、 客員研究員を辞して、マザーズ上場第1号のIT企業に入社しました。 映像技術を活かすため、買収したばかりのグループ会社へ出向し、映像事業で開発管理や 自社製品の立ち上げに携わり、会社を上場に導きました。しかし、会社が映像事業から 撤退したのを機に、初めて業務監査と総務人事に従事することになりました。この間、 助成金事業、契約管理、知財管理、ISO9001とISO14001の管理、顧客満足度向上のノウハウを 身につけました。
あと5年で定年退職となる時に、家族の勧めもあって資格を取って開業して、定年後の収入を 得ようと思いました。 前年に、知財管理のため知財検定を受験して合格したので、この成功体験を活かし、 ハードルの高い行政書士の資格取得にチャレンジしようと思いました。勉強できるのも この時期と思い、果敢にチャレンジすることにしました。 2年間の独学で行政書士試験に合格し、南青山で開業しました。
創業前から創業後6年目までの創業融資、経済産業省認定の支援機関として補助金申請サポート。